この前の被れないニット帽を解いてアームウォーマを作ってみました。
今度は使えますが、編み方の本のモデルさんは薄手のニットの上からはめていたのに、素肌の上からしか使えませんw
う~む。
最近、編み物をしていますが、編み物と言えば一昨年亡くなった祖母を思い出します。
毎年3月頃に北海道の田舎からやってきて一ヶ月以上滞在するのが、祖母の足腰が悪くなる数年前までの我が家の慣習でした。
ちょうど父親の会社で、いわゆる慰安旅行の代わりの宝塚大劇場の貸し切りが春の初舞台の時期にあったので、小さい頃は祖母と家族4人の計5人で宝塚ファミリーランドへ行ったものです。
今でも、大劇場へ行くたびにファミリーランドの跡地をみると、ファミリーランドの満開の桜の下でベンチに座って休んでいる祖母の姿を思い出します。思い出の遊園地が無くなるというのは、なかなか酷なものではあります。
そんな祖母は、いつでも編み物をしていました。セーターからカーディガンから、常に編み続けていました。
何しろ年寄りの編むものですから、デザインも婆くさくて子供の頃はあまり着たくなかったんですけどね(苦笑)
いつだったか、「おばあちゃんは、どうして編み物をやりだしたの?」と質問したことがありました。その答えが何とも強烈で忘れられません。
「お金なんか無いからさ、あんたの母さんや兄弟のセーターから靴下まで全部ばあちゃんが編んだんだ」
まあ、北海道は寒いですから、節約のためにセーターを自分で編んだってのは理解できましたが、幼くとも引っかかることがあります。
「だってばあちゃん、靴下やったら3足いくらとかでうっとるやつ買った方が安いやん」
「昔はそんなんないべさ」
「せやけど、毛糸結構高いやん。学校で編み物するのに毛糸買おうとしたら高かったで」
「毛糸なんかかわねぇべ。羊から自分で毛さ刈って、自分で洗って、自分で紡いで作るべさ」
ウヒャ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━ !!!!!
毛刈りからやるんかい!!!
恐るべし北海道!!!!
もちろん、私が質問した頃には毛糸はちゃんとお店で購入してましたけど。
記事冒頭で、被れない帽子をほどいて別のものを作ったと書きましたが、編み物で作ったものはそういった再利用もできるため、子沢山の貧乏家庭では子供が大きくなって着れなくなった物を解いて、たまに糸を足して着る物をやりくりしていたんでしょう。
かぎ針も棒針も基本の編み方しか祖母には教わりませんでしたが、小学生の頃に教えて貰ったせいか編み始めは本を見なくてもわかりましたね。
編み物をするたびに、膝の関節痛のために
「こわいこわい」(つらい?の方便)
と言いながら膝をさすりつつ編み物をする祖母の姿が目に浮かびます。
そんな祖母の姿がなければ、きっと私は今頃編み物をしようなんて思っていなかったでしょう。小さな頃の環境というのは、こんなにも影響が大きい物なのだとしみじみと感じます。