たかちゃん(和央ようか)がJAL音舞台シリーズの
へ出演されるそうです。詳細は上記サイトへどーぞ。
いいなぁ、たかちゃん。
え、いや、そうですよ、たかちゃんが羨ましいのw
別に私は踊りも歌もできませんが、なんか、世界遺産とかで歌ったり踊ったりって気持ちよさそうじゃないですか?そう思うの私だけ?
ラッセル・ワトソン氏との繋がりはここだったんだね~♪
で、ここは私のブログなワケですよ。
たかちゃん、すっご~い
o(≧∇≦o)(o≧∇≦)o
で終わると思うか?終わるわけ無いよな?終わったら俺のブログじゃねぇよな?
終わるわけねぇだろ!!!!
つったって、大したこと書きません。どうせオイラの智慧なぞ底が知れておるので。
以下、(゚Д゚)@謎の浅知恵に基づく訳の分からん宗教論(か?)が繰り広げられる(予定)なので、興味のある人だけどうぞ。
ひとつ気になったのが、音舞台の紹介文章の
日本を代表する寺院に舞台を設け、『東洋と西洋の出会い』をテーマに、世界中で親しまれる音楽や新しいパフォーマンスを披露し、そのコラボレーションを"奉納"するという文化イベントです。
(http://www.mbs.jp/oto/rekishi/から抜粋引用)
と言う内の「奉納」の部分。
私の狭い見識の中では、歌舞音曲を「奉納」するのは神社だと記憶しているわけです。
なんで、神様に歌舞音曲を奉納するかというと、日本で言うところの神様はご機嫌斜めだと災いをもたらしたりするからだね。天野岩戸ですな。
奉納を辞書検索で調べました。→「奉納」
んで、仏を喜ばすのは違うんじゃねぇのか?華道は仏に供える花から来てますが、それは森羅万象であり宇宙の一部である花を生けることによって(以下略)←単に表現できないだけ。
あと、声明とかあるけどアレも別に仏を喜ばすモノではなかったよーな。
そもそも、仏を喜ばすって考え方が間違ってるんだね。
御仏は人を救う事を考えてらっしゃり、人を救うためなら力を貸してくださると言うものだと思うわけです。ご機嫌を斜めにするって事は無いわけですね。お怒りになるときは、衆生のためにならないことを人がしたときなわけで。機嫌取っても無駄です。
修行をして悟りを開くということは、小乗仏教では己を救うためかもしれませんが、本来は一人でも多く衆生を救う”仏”を世に出すためではないかと。花を供えることで森羅万象を感じ、一心に教を唱えることで真理を見いだす。
・・・・・・・(*゚ロ゚)ハッ!!
そうか!!
御仏の御前にて歌舞音曲を衆生に見せ聞かせることで、救われる衆生を御仏にご覧頂こうと!!!そういうことですか!?京都仏教会!!!!
皆様、たかちゃんや他の演者の方々の歌舞音曲に癒されて救われて下さりませ、御仏もお喜びになります。
南無大師遍照金剛 合掌(-人-)←うち、真言宗なので
まあ、そう言う意味での「奉納」なわけね、と勝手に解釈。だって、御仏が喜ぶのは(いや、そもそも悟りを開いた者に”喜び”っつうのも変だが)人が救われる事だもの。
でも、日本の仏教は途中で神仏合体したり廃仏毀釈したりでその辺の考え方が神道混じったりしてるとは思いますけどね。お寺でも奉納って言葉使ってるトコあるし。
そうは言っても、二条城でもやってるみたいだから、主催者というか発案者はあんまりその辺は考えてないっぽいけどねw
京都仏教会はたぶん、少なくとも人々が癒される事を考慮に入れて許可を出していらっしゃるのでしょう。(なんとなく何だか世知辛い京都の寺院だが、そう思うことにしておこう)
で、みなさん、この話どこまで読む気になりました?(笑)
見に行きたいけどね・・・。さすがにどういう客席セッティングかわからないものは怖くて行けないッス。劇場みたいに席にスペースがあれば平気だけど、ぎゅうぎゅうだと・・・気持ち悪くなること請け合い・・・。体力に自信ないですから・・・。遠征だし。
寺社仏閣好きだから、是非行きたいんだけどさ・・・。
好きなモノ二つ揃うんだぞ~。幸せじゃないか~。テレビ放送あるのが救いだ~。ありがとーぅ(-人-)