謎のブログ

謎の生物(゚Д゚)@謎が書く謎のブログ。気の向くまま風の向くまま。

迦陵頻伽と共に迦楼羅に寄り添って、

 再び行って参りました、月組東京特別公演「A-”R”ex」

 幕間のトイレの行列にて、あちらこちらから「わからない」の声を聞く。

 私も100%分かってるワケじゃあないけど、私に言わせたら「分からないお前らが分からんよ」ってなもんです。

 前に並ぶ二人連れのおば様が、「わからない」事について自信を持って話している。うううむ、大声で己の見識の狭さ加減を吹聴するなんて恥でござるぞ・・・分からないのは別に人それぞれだから良いけど。

 まあ、そのおば様の話を聞いて、わからない理由のひとつが分かりました。たぶん、分かってる人もいると思いますが、

『歴史上の登場人物の話なのか、お芝居の話なのか分からない』

と言う点のようです。う~ん、こればっかりは・・・それまでにどれだけの文学からアニメに至るまで『物語』と呼ばれるものに触れてきたかどうかによって、分かるかどうか変わってくるような・・・。

 こういう二重構造みたいなやつとか、そこから叩き出される哲学のようなものとか、今までにも出会ったような気がする・・・なんだったか思い出せないけど。

 現実であって現実でない物語。歴史であって歴史の遙か向こうにあるものを物語ろうとする物語とか・・・思い出せーん(^_^;)

 あと、「展開が遅い」「無駄な部分が多い」というのも多く耳にしたのですが、

展開が早いと理解不能になりまつよ?

無駄じゃなくて単に自分が理解できない部分じゃないでつか?

と。

 すくなくとも、あれ以上テンポアップされたら私はお手上げです。

 ・・・あ、きっとその人は素晴らしい理解力を持っているからかったるく映ったのかも知れない。

 無駄な部分は一切無いと思ったけどなぁ。どこが無駄だと思ったのか聞いてみたかったかも。

 

 などなど。

 で、今回は登場人物の感情や心理描写に注目してみるぞ!と意気込んでいたので、出来る限りそうしましたらば、荻田先生が

「例え道に迷ったとしても、彼女と共にする旅であるならば、必ずや光明に辿りつける気がいたします」

以上「A-”R”ex」東京特別公演パンフレットp9より引用

と仰った意味がわかりました。

 瀬奈じゅんはこのトリッキーで不可思議な芝居において、ただの一度もぶれずにひたすらに「アレックス」でありつづけた。だからこそ、観客は瀬奈じゅんと共に旅をすれば迷うことはないのだと。

 

 いや~、凄いですね。これを宝塚で上演できたことの意味は大きいと私は思いますよ。

 とかく、「お嬢様のお遊戯」と揶揄される宝塚において、選抜されたメンバーでとはいえ、これだけのことが出来るのだから。

 でも、ま、こういう観客を置き去りにする危険を孕む挑戦は、年に1回ぐらいにしておいた方がいいでしょうね。

 やっぱり、宝塚は「子供から大人まで、家族で楽しめる」のが宝塚なのだから。

 

 今回の長ったらしいタイトルは、私なりに感じたこの演目に対する思いと答えです。

 謹んで荻田浩一先生に捧げます。

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