どうも、週末のんべんだらりんで外にも出ない(゚Д゚)@謎です。やはり平日大なり小なり動いてるとしんどいですね。
さて、ちょっと最近思ったのが、
私には麗句で彩られた情緒豊かな美文は書けない。
ってことですね。
以前文章に関してこういう記事を書きました。
そう、私は常に「分かりやすい文章」を心がけてきたのです。
過剰に修飾された言葉は文章が表そうとする物の本質を分からなくする可能性が大きいです。本質を見失わせない程度に麗句を並べるのは実は相当に難しいと私は思います。あと、著者本人が麗句に酔ってしまう危険も大きい。綴った本人が酔って書いていることが分かってしまう文章ほど滑稽な物はありません。
そこで、凡人ができることは過剰な修飾を省くことでした。
でもねぇ・・・最近プロの小説とかアマチュアの素晴らしい小説とか読んでると、過不足のない修飾を利かせた素晴らしい文章に出会うんですけど、そのたびに羨ましいなぁと。
そういう人の感情に訴えかけることのできる美しく真に迫った文章を書けるようになりたかったなぁと、ちょっと思います。
ただ、そのためには小説や詩を書き続けないとダメですけどね。ブログとか一般的な文章はどうしても「無駄を省いて分かりやすく」書いた方が良い文章なので。
ところが、小説や詩ってのは日常の事を文章化するよりはるかに難しい。だって、お話創作しなきゃいけなんですよ!始まって終わるまで書かなきゃいけないんですよ!割と言われることですが、お話を最後まで書けると言うのは一種の才能なんだそうです。文章を書けるだけでは小説は書けない。詩もまた難しい。
確かに、社会人として有用なのは無駄を省いた分かりやすい文章ですけどねぇ。
でもあれじゃん、ただの円形を描けるより円形を綺麗に彩って花なんか飾っちゃたり鳥なんか飛ばせちゃったりして美しい〇が描ける方が素敵じゃないですか。
と、つらつら思いますが煌めく華やかな言葉を使った文章を私はこれからも書くことは無いでしょうね。
だから、小説は難しいの!!
書くネタ無いと書けないの!!
とはいえ、どうしても書きたいものが浮かんだら、その時は書くかもしれませんが。
あとまあ、文章を美しく装飾できないもう一つの理由は
語彙力が無い
わけですが(笑)
ただこれも、読む相手が選べない、ターゲットを絞らないブログやTwitterなどだとヘタに難しい言葉を使うと読む側が分からない。分からないと、その先を読まないと言う事態を招くので、意識的に簡易な語彙にしているところは実はあります。
例えばそれが専門書であったり小説であったりすると、読者は言葉の意味を辞書で引く確率が高くなるので専門用語や難しい言葉を使うハードルは低くなります。
ま、人間、安易に流れると難しいことは出来なくなるものです。私は難しい言葉使えないんだよ~、語彙が無いんだよ~。
語彙が豊富な人が上記の様なこと言って語彙レベルを下げて書くんならカッコいいんですけどね(笑)
美しい文章を書いてみたいものです。