前置き無しにさっくりといきまーす。
↓
10月10日2:12送信の方
80歳代の先生方の場合、日本は戦後間もない頃で質量的に十分に研究出来る環境ではなかったと思われ仕方がなかったかなと思います。当時赤ん坊の粉ミルクを買うのに切符が要ったり、専門的な薬は自分で問屋に行って購入して医者に処置をしてもらうような状況だったそうです。まだまだ日本は貧しかったようですよ。
そうですね、当時ならアメリカの方がずっといい条件で生活も研究も出来たんでしょうね。日本国中が苦しい中でウミホタルやクラゲばっかり取ってたら「何じゃお前は」ってなるでしょうしね。
ただ、下村氏は長くアメリカで暮らして活躍しているのにかかわらず、日本国籍のままなんですよね。
長くアメリカにいたのに日本語をハッキリとお話しになる。息子さんの祝福メールは英語だったのにね。長く英語ばかりを話す生活を送っていると日本語を忘れてしまいがちになるのにな、と。
それを思うと、日本が豊かになったあたりで「先生、日本に来て研究して下さい」とラブコールを送らなかったのかな?と思うんです。氏は日本人であることを捨てていないし忘れていない、条件が良ければもしかして?と。ふと思うわけです。
もっとも、ラブコールがあっても、長く研究していた環境をたやすく変えられなかったのかもしれないし、お子さんの事もあって帰国できなかったのかもしれないですけどね。
テレビで見た、下村氏がちょっぴり嬉しそうに日本時代に採取したウミホタルをレポーターに見せて「まだ光るんですよ」とカメラに見せた、本当に純粋な研究者としての姿が忘れられません。そういう、研究者の鏡のような人がアメリカにいたままだったのは非常に惜しいと思いました。研究内容うんぬんもそうですが、そう言う姿を間近で見ると言うことも未来の研究者たちに大きな影響を与えると思うんですよね。
だからやっぱり、戦後間もないころのことは仕方がなかったとしても、今、氏が日本にいらっしゃらないことは、寂しいことだと思います。