お役所と同じぐらい感じ悪いのはどういう事か・・・お寺さんよ・・・
2寺に問い合わせの電話をしたんだけど、どうもこ~、そこはかとなく「めんどくさそう」に思えたのは鬱アンテナの所業でござるか?
まあ、どちらも丁寧に説明をしてくれたので、説明しない役所よりはちょっぴり上か。
とりあえず、結局、高野山東京別院に節分の日に行くことになりましたとさ。予定外だけどまあ、御大師様のお導きって事にしておくか。
高野山真言ならどこだってよかったし、東京の総本山だからまあ、いっか。できれば、東京に昔から深く根ざしたお寺を観光がてら行ってみたかったんですけどね(調べたら東京都内に何件か高野山真言で歴史のある寺がいくつかあった)。
ちなみに、どうして厄払いなのに神社に行かないのか、とか、仏教でも高野山真言に拘るのかと言いますとですね・・・
厄年の考え方自体は陰陽道のものなので、神社に行くのが本来だとは思います。
でも、その理屈って別に宗教的なところから適当に出てきたものじゃなくって、その年齢に人生の節目や転機が訪れたり、身体が衰えてきて病気になりやすい年齢だから気をつけよう、ってことなわけですわ。
だったらまあ、特に祈祷やらなんやらしなくても日常生活に特に気をつければいいわけですな。てか、もともとは注意喚起のためにそういう祈祷だのなんだのするようにし向けたんでしょうな。てことは、祈祷自体は自分の信じてる宗教でやればいいと思うんだな。
ぶっちゃけ、キリスト教徒なら教会行って「今年は特にお守り下さい!!!」ってお祈りしてもいいんじゃね?
もともと、お守りとかお札とか祈祷とか信用してないんですよ、わし。
んでもま~、身体気をつけてても抑うつで休職しちゃったし?年始早々カラスに襲撃食らってるし?努力の仕様のないところの不幸が発生してるのがなんか気味悪いので、一応、祈祷ぐらいしときますか、と。オカンが信心深くて五月蠅いんですわ。やってなくて、またなんかあったらオカンが五月蠅いし。
んじゃまあ、どうせやるなら、ちょっぴりでも信じているものにお願いした方がいい。
そこで出てくるのが高野山。
実家が高野山の宿場町にあるので何度か行ったことがあるんです。
いやあ、ただの観光名所と見せかけといて、なかなかどうして霊的になんかあるスポットですわ。
あっちこっちそういう場所があるんですけど、中でも決定打だったのが
弘法大師御廟前
なんでも、弘法大師はいまだにそこに生きている(もしくは生きているような状態を保っている)という信仰がございまして。それで今でも弘法大師の着ている物を年に1回変える儀式があるぐらいなんですな。
さすがのオイラもそんなもん信じませんよ。信じませんがね、御廟の前に行ったとたん
空気の重さに潰されそうになった
もの凄い圧迫感と気を感じてそこに止まれない
状態になりまして。ありゃびっくりでした。御廟前で平然とお祈りしてるおばあさんが、何故そこにそんなにも長く居られるのか不思議で仕方がなかったです。
でも、入り口(?)前から一歩外れるとスッとからだが軽くなった
んですわ。いや~、追い払われるって俺は鬼かなんかかよ!!!
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
入定信仰まで信じる気はありませんけど、高野山にはなんかあることだけは信じますね。あい。
ちなみに、那智の熊野大社と伊勢神宮もなんかあります。出雲大社は行ったことがないからわからない。
予備校で何タラ天満宮の神主がきて必勝祈願したときは何かが来て去っていったのが分かった。気持ち悪~
(; ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
比叡山は高野山までのインパクトがなかったのでよく分からない。猿しか記憶にないじょ。
そんなこんなで、まあ、世の中科学じゃ割り切れないこともあるんですねってお話でした。